アイスクリームよりも甘い夜

アイスクリームと夜
妄想

アイスクリームよりも甘い夜

熱っぽい視線と、予期せぬ展開

「じゃ、今日は解散で!」

煙草の香りを纏ったサークルのメンバーがひとり、ふたりと散り散りになっていく。渋谷駅へと歩く人々の波に彼らは紛れ、消えた。

チカチカと点滅する、横断歩道の信号機。カバーを付けていないiPhoneを右手でそっと撫でる。先ほどの彼の目は、一体なんだったのだろう。

 

10人掛けの机の向かい側、両端に座ったわたしたち。右隣に座る友人と話そうとして顔を向けると、視線の奥には彼がいた。彼は透きとおった煙をたっぷりと吐きだし、こちらに気がついたのか、チラと目を配る。

くるりとカールした黒髪から覗く、興味の欠片も含まれていないような冷ややかな瞳。けれど、他のメンバーを挟んでもなお伝わってくるほど、明らかに熱を帯びていた。どくっ、と自分の心臓の音が聞こえる。あんな瞳、これまで1度も見たことがない。

彼の熱っぽい視線を感じるたびに居ても立っても居られず、何度もお手洗いへ立った。このあいだ友人に借りた本を思い出す。ある男性の瞳に魅了されて泥沼の恋に落ちてしまう話で、彼女は結局ボロボロになってしまう。

恋も他人も、わからない。わからないものは怖い。手水場の鏡には、期待と困惑をかき混ぜて塗りつけた自分の顔が浮かんでいた。

 

信号機や前で話すサークルのみんなが、ゆらゆらと揺れる。お酒に強いと思っていたけれどそうでもないのかしら。飲みすぎたとすればそれは彼のせいだ、と思った途端、ぬっと右側に影ができた。

「ね、アイス食べたくない?」

聞き慣れない低音が降り注がれ顔を上げると、黒髪からさっきと同じ瞳をのぞかせ、不敵に笑う彼が立っている。かすかな煙草の香りが鼻の奥をくすぐり、背中にぞわぞわと鳥肌が立った。まただ、怖い。身体から飛び出しそうなほどに速く動く心臓が、もう喉元まで上ってきている。

笑みに圧倒されてコク、と頷くと、彼は唇でゆるやかな弧を描き、わたしの手を引いて「行こ」と微笑んだ。肌を溶かすような空気が、鼻から身体へ入り込んでくる。グングンと進む大きな背中がなぜか愛おしい。右手を掴む彼の左手は思ったよりもずっと熱く、じっとりと湿っていた。

人生とは、あっという間に、予期せぬ方向へと変わっていくものらしい。あの本のように。

アイスクリームよりも甘い予感

「ありがとうございましたー」

店員の怠そうな声を背に受け、ふたりでコンビニのドアを開ける。黙ってアイスの袋を剥がし、コンビニの近くにあるガードレールに身体を預けた。どうして、わたしを。

ゆるくカールした黒髪に、シュッと通った鼻筋。甘い低音の声と高い背丈。容姿を見てわかる通りモテないはずがない。でも、女性といっしょにいるところを見たことはない。空気のようでつかめない彼は、今隣で苺アイスを掴んで食べている。

たしかに格好いいけれど、よくわからないものに興味本位で近づきたくない。わからないものが怖いのだ。自分の思い通りにならないことを楽しめるような人間ではないから、恋に落ちてしまいそうになると逃げたくなる。自分が自分でなくなっていくように感じて、息がつまる。

「あまい」

遠い人間だと思っていた彼と交わした視線。彼とのあいだでこれから始まるかもしれない出来事。会社帰りのサラリーマンや若い学生たちが騒がしく目の前を横切るなか、彼の低くて甘い声はしっかりと辺り一面に広がり、わたしの耳までハッキリと届いた。

「あの、どうして、わたしを」

コンビニのなかで雑誌を立ち読みする男性に目を向けながら、なんでもないふうに、なんでもないことのように、訊いた。好きなはずのアイスがうまく喉を通らず、口のなかで温くなっていく。

うーんとか、そうだなあとか、視界の端で小さく悩んだのち、放り出していた足をピンと伸ばす。彼は残りわずかのアイスをぺろりとなめると唇を軽く噛み、ふふっと笑って掠れた声でつぶやいた。

「話したかった、ふたりきりで」

先ほどとは違った、まるで子どもをあやす時のような、愛しい人を愛でる時のようなやわらかな眼差し。そんな目で、見つめないで。

右手に持っていたアイスがどろりと滴り落ちる。アイスが溶けてしまうほど熱く、アイスよりもずっと甘い恋が始まる予感だけが、彼とのあいだに漂っていた。

2018年、8月に入ったばかり。平成最後の夏は、まだまだこれからだ。

めくばせ

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東京でゆるゆると生きながら、ことばと生きている20歳。揺れるものと香水が好きで、小さな幸せを見つけることが得意。イケメンを見ると具合が悪くなるという特性があ...

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