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梅雨の夜は赤い傘を持ち、駆け寄って

梅雨の雨
妄想

すれ違う彼とわたしを繋ぐ、梅雨と赤い傘

雨が好きだ。傘の上に落ちるときの音も、首や腕に張りつくぬるりとした空気も、小学生のころの宿泊学習を思い出させるような独特のにおいも、全部が好きだ。

雨といえば、昨年の梅雨ごろに傘を手渡されたことがある。

朝からバタついていたせいで、傘を忘れたことに気がついたのは最寄り駅のエスカレーターを降りてからだった。かなり大きな雨粒が、どんよりと暗い空から激しく降り注いでいた。

覚悟してはいたが駅から2分ほどでずぶ濡れになってしまい、運悪く赤に変わった横断歩道の信号をにらみつける。すると、

「あの」

と後ろから声を掛けられ、30代くらいの酔っぱらっている(ように見える)男性が「これ、よかったら使ってください。僕タクシー乗るので」と傘を差しだしてきた。お礼を言ってその気持ちだけ受け取ったわたしは、小走りでこんなふうに考えていた。

もしも、わたしを迎えに来てくれる人がいたならば。

すれ違うのを赤い傘だけがみていた

23時。その夜は、雨が激しく降っていた。

「あー……」

最寄り駅のエスカレーターを降りたわたしは、まるで地面に打ち付けるような雨粒をみて途方に暮れる。

朝、天気予報にまで気が回らなかったんだよな。同棲している彼と些細なことでちょっとした言い争いになり、逃げるように家を出たのだ。

‘‘迎えに来て’’と連絡するにも気が引けるし、ずぶ濡れになってもいいから走って帰ろう。1か月ほど前に新調した赤い傘、使ってあげたかったな。

 

このところ、わたしたちはすれ違ってばかりいた。今朝のことだって我慢すれば笑って受け流せたはずなのに、どうしてもできなかった。

アドラーが言うには「怒りは2次感情。1次感情は悲しみや寂しさ」らしいから、きっとわたしはいま悲しいのだろう。

ノートパソコンが入ったベージュの鞄を左肩にかけ、パンプスのヒールを鳴らしながら交差点へと急ぐ。梅雨独特の生温い空気とともに、髪が首に張りついて気持ちが悪い。左手首に常時身に着けているヘアゴムで髪をクルリとまとめると、頬を伝う冷たい雨を拭って再度駆けだした。

 

ジワリとしか感じていなかった雨の温度や質感も、ものの数分で服を隅々まで濡らし、それらは徐々に肌を冷やしていく。もう終わりだ。横断歩道の赤い信号が、そう告げているような気がした。

急いでいるときに限って信号が赤になる確率は高いし、好きな男とは必ずしもうまくいくわけではない。

全部がうまくいくのは少女漫画のヒロインだけ。‘‘好き’’というまっすぐな想いさえあれば、ハッピーエンドになり得る。わたしは少女漫画のなかではなく現実世界で生きているし、ヒロインではない。大人になったら、‘‘好き’’という感情だけでは良い関係すら築けない。

 

顔を上げると、横断歩道の信号が青に変わると同時に、コンビニのひかりに照らされた赤い傘が目に入った。とたんに、耳の奥まで響き渡るほどうるさかった雨の音が、まるで水のなかに沈んでいるときのように聞こえなくなる。

息をのんで動けずにいるわたしは、それが誰なのかすぐにわかった。誰よりもまっすぐに、誰よりもはやく助けにきてくれる人を、わたしは知っている。

頭上に降る雨が止んだ。昨晩洗ったばかりの白いTシャツから、わたしたちの家のにおいが漂ってくる。

「今朝のこと、ごめん。最近ちゃんと向き合えてなかったのも、ごめん」

八の字の眉毛に、すこし逸らした瞳。謝るときの彼の癖だ。梅雨の湿気を吸ってゆるゆるっとカールした黒髪、なめらかな肌、遠慮がちに開かれた薄い唇。傘の柄を持つ角張った手に、雨の音にかき消されそうな低い声。

それらを目の当たりにしたら、なんだかもう、どうでもよくなってしまった。それは諦めの‘‘どうでもいい’’ではない。ぶつかっても、こうしてわたしたちはすこしずつ重なり合っていくのだ。すべてをゆるせるような気がした。

すこし遅い歩き方、ちょっと濡れてる右肩

彼の体温を右肩に感じながら、ただまっすぐ、わたしたちの帰るべき家へと歩く。ひとことも話さずに。心なしか彼の歩くスピードが遅い。この短時間にそんな気遣いができるようになったのね、なんて母親のような気持ちがあふれてきてクスリとしてしまう。

アパートに着き、ポケットに入れておいた鍵でドアを開け玄関に入った瞬間、彼は強引にわたしの身体を抱き寄せた。

「ちょ、え、濡れ」
「濡れてもいい」

身体がギシギシと音を立てるほど強く抱きしめられたのは、いつぶりだろう。鼻の奥が痛い。冷めきった肌に彼の体温は熱すぎるほどで、横隔膜がわずかに痙攣し、視界がぼんやりと霞んでいく。

2、3分ほどそうして抱きしめると、「ごめん寒いよね」と焦りながら玄関の近くに置いてあったカゴを手繰り寄せる。きっと、わたしを迎えに来る前に用意しておいたのだろう。

バスタオルを取りだし、ふわりとわたしを包むと、まるで赤ちゃんにふれるときのようにやさしく頬を撫でながら、

「おかえり」

と微笑んだ。

理解できなくても、認め合えばそれでいい

毎晩こんなふうに迎えに来てくれる恋人がいたら、梅雨嫌い女子の毎日もそれはそれは楽しくなるのではないだろうか。

できればすれ違いなんてしたくないし、仲良くお付き合いしたいけれど、わたしたちはみんなまったくの他人。「どうしても理解できない」ことがあって当然なのだ、きっと。

だからこそどう向き合うかが大切で、理解はできなくても認め合えばいい。ほら、天下のミスチル・桜井さんも「君は君で僕は僕」「認め合えばそれでいいよ」って歌ってるしさ。

めくばせ

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東京でゆるゆると生きながら、ことばと生きている21歳。揺れるものとピアス、視線が好き。人生のテーマは‘‘愛’’。

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