• HOME
  • 妄想
  • 本屋の「秘密基地」から始まった奇跡。本と恋はタイミング。

本屋の「秘密基地」から始まった奇跡。本と恋はタイミング。

本屋での出会い
妄想

恋というものは、当人たちの知らないところで、知らないうちに始まってしまうものだ。愛とは違って恋は、とても儚く、脆い。

だからこそ、「もしかしたらこれは運命なんじゃないか」と思うほどに強い力で引き寄せられることがあれば、ぴかぴかと光る方向へ走り出すべきだと思う。

今回は、ある女性が本屋の‘‘秘密基地’’で出会ってしまった、小さな恋のお話。

本と恋に出会う、タイミング

リンリン。

入口のベルが小さく鳴る。キョロキョロと辺りを見渡す彼に右手を振り、目の前の席に座らせた。

日曜の午後3時。場所は、神保町駅から少し歩いたところに位置する純喫茶。彼がずいぶん前に「行きたい」と言っていたところだ。

「待ちました?」
「いいえ、わたしも今来たところです。」

先に頼んでおいたアールグレイとアイスコーヒーが運ばれてきたので、ひとくち飲む。カチャ、と小さく音を立ててカップを置くと、彼が前から聞きたいと言っていた話を、ポツリポツリと始めた。

綺麗な指だ、と思いました。

本のカバーのかけ方が、とても丁寧だったんです。まるで壊れモノを扱うときのように、好きな女性にはじめてふれるときのように、そっと撫でるように。あまりにもやさしいその様子に、涙が出そうになったほどです。もちろん、指そのものも美しくて、見惚れてしまいました。

あなたに出会った半年前のあの日。あの頃の私はいつも下を向いていましたから、その指の持ち主があなただなんて知りませんでした。

 

もともと本が好きで、上京を機に行きつけの本屋が欲しいと思って探していて。あの日……ええと、あなたの指をはじめて見た日、あの本屋に入ったのはたまたまだったんです。

こっちの生活にも慣れてきて、今日はいつもと違う道を通って帰ろうと思っていたら、見つけて。駅の中の本屋とか大きな駅の近くにある大型書店とは違う、古くてどこか懐かしい外観に惹かれて、あの重いドアを押しました。

入った時、別の世界に足を踏み入れてしまったのではないかと思いました。外の春で溢れたやわらかな空気が嘘みたいに、ドアの境目を跨いだ瞬間、本来私がいるべき場所に引き戻されるような。

肌に薄い膜を張るような少し湿った重い空気と、満ちる本のにおい。ページを捲る音、靴を床に擦る音、隣に立つ人のイヤフォンから微かに漏れる音楽、静かに広がる店員の「ありがとうございました」という声。

本が棚に整然と並ぶ姿を見て、在り方が正しい、と思わずため息をついてしまいました。

 

私はゆったり歩きながら、何も考えずに背表紙を目で追うのが好きなんです。そうですね、眺めるって感じですね。タイトルを読むわけでも、探すわけでもなく、ただただ眺める。

背表紙の上、本の厚みの部分をなぞるのも好きです。ああ、いや、指ではなくて、目で、視線で、です。あんなにたくさんの本がひしめき合っているのに、本の厚みの部分と、その上の棚との空間を見つけると、秘密基地を作ったような気分になるというか。

それで、あの日もなぞっていたんです。本の厚みの部分を。そしたら秘密基地から、向こう側で少し屈んでいるあなたの髪の毛が見えて。本の整理をしていたんですよね? 第一印象は「茶髪だ、茶髪の店員さんがいる」でした。

ちょっと、笑いすぎですよ。そんなにおかしいですか? 偏見かもしれませんが、本屋で働く男性は黒髪しかいないと思っていたので意外で。ゆるくカールした茶色の髪の毛が、あなたの動きに合わせて小さくゆれていて、恋愛小説ならあり得ない展開だ、と笑ってしまいました。

 

そのあと、しばらく本屋の中を見て回っていたら、あの本が目に付きました。全然知らない本でしたが、ぴかぴか、って光っていたんです。わかってくれますか、あの感じ。本屋にはこういう、どうにも抗えない出会いがあるんですよね。

欲しいと思って本屋に来たのに、実際に手に取ってみたら「今日は違うな」と感じて買えなかったり、ぴかぴかと光って運命の出会いを予感させたり。恋と同じで本にもタイミングがある……私もそう思います。買った本が読めなくても、読むべき時になったら読めるんです、きっと。

 

ああやっぱり、今思うと不思議です。さっきも言ったように、あの頃の私はいつも下を向いていました。お恥ずかしい話ですが、東京という大きな街に出てきて不安や緊張でいっぱいでしたから……あの日に「いつもと違う道で帰ろう」と思ったのが不思議でたまりません。

そうですね、もしかしたら自分の中に「変わりたい」という気持ちがあったのかもしれませんね。

でも、たまたま入った本屋で、私がレジへ持って行ったぴかぴか光る本に、これ以上ないくらいにやさしくカバーをかけてくれる店員さんがいた。やさしくて、美しくて、今思い出しても泣きそうです。

あんなふうに感動したのは初めてだったので、恥ずかしさと動揺で顔を上げられなかったのですが、いったいどんな顔をしているんだろう、どんな人なんだろう、と気になっていました。

 

私が本屋に行くとき、いつもあなたがいました。

いつもあなたがその綺麗な指でやさしくカバーをかけてくれて、私はそれを大切に持ち帰って読みました。家で本を手に取るたびに、胸の奥が苦しくなって、同時に悲しくなりました。それは、その感情がどういうものなのか、まだわかっていなかった頃のことです。

 

あなたに何度もカバーをかけてもらったのに、お会計でお釣りを手渡されたのに、美しい手を持った店員さんと茶髪の店員さんが一致するのには、かなりの時間がかかりました。

梅雨、でしたよね。あの日は休日で、私は買い物のついでに本屋に寄ったのですが、突然雨が降ってきて。レジの近くにある窓を見てため息をついたら、

「初めてお買いになった本、覚えていますか?」

ってあなたが小さく声をかけてきました。反射的に顔を上げてしまって、右隣に茶髪の店員さんが立っていて。……いえ、いいんですよ。驚いて、声が出なかったんです。

「あの本にも、本屋のレジの近くにある窓から、外を見つめるシーンがありますよね。季節は梅雨で、雨が降っていて。中盤に出てくる、神保町の純喫茶に行ってみたいなってずっと思ってるんですけど……あ、まだそこまで読んでいなかったらすみません。」

あの人だ。2ヶ月前に秘密基地で見つけた、あの人だ。想像していたよりも背が高い。あなたに返事をするのも忘れて、大人しめのカールを見ながら、湿気のせいかな、それとも今どきのスタイル? と考えていました。

「僕、あの本が好きなんです。でもなかなか売れなくて。だから、あなたがあの本を買ってくれた時、嬉しかったんです。どんな人なんだろうって思っていました。」

と静かにゆったりと話すあなたの、ゆるやかに上がった口角と、まるで好きな人を愛でるときのような瞳に、この人はあの手の持ち主だろうと直感したんです。

 

あなたがあなただと知ってから、私はどうしたらいいのかわかりませんでした。

ふふ、あれがあなたを知るタイミングだったとしたら、上手くできすぎていますよね。まるで恋愛小説のよう。

本にカバーをかけるとき、本が入った袋を渡すときのあなたの手の動き、そのなめらかさとか、お釣りを渡すときに添えられる指の温度とか、その後こちらを見るまでの視線の動きかたとか。今まで、こんなふうに私を見て送り出していたのだと知って、身体の奥がギュウギュウと音を立てました。

話しかけたら何かが始まってしまうような気がして怖かった。でも、あなたの声をもっと聞きたかった。もっと知りたかった、何が好きで、何が嫌いなのか。どういうものを見て感動するのか、最近は何を考えているのか。話しかけずには、いられなかったんです。

 

あなたに出会って、あなたを、そしてあなたの見る世界をもっと見たいと思うようになりました。あれだけ顔を上げられずにいたのに、世界はこんなに美しかったのかと毎日感動しているんです。

もし、あの日に「違う道を通ろう」と思わなければ。
もし、秘密基地を素通りしていたら。
もし、あなたと私が本好きでなかったら。
もし、あの本屋がなかったら。
もし、これまでの選択のひとつが無かったら。

言い出したらきりがないですが、ひとつひとつの選択が積もり積もって、この出会いがあるんですよね。

こうして今、あなたの隣にいられるって、ほんとうに奇跡だと思います。

奇跡は、そこかしこに散りばめられている

奇跡や運命を信じないのは簡単だ。

直感を行動に移したところで上手くいく保証はないし、結果が悪かったときに傷つくのは目に見えている。

この広い世界には数えきれないほどの人がいる。毎日、何百何千の人とすれ違うけれど、一生出会うことのない人もいる。電車で隣に立っていた男性には、もう二度と会えないかもしれない。そんな中で、出会った途端に「この人だ」と感じるなんて、それだけで奇跡だと思う。

普段なら見過ごしているはずなのに、なぜか今日は気になる。よくわからないけれど、こうしなきゃいけない気がする。そういう直感に敏感になることが、奇跡を掴む近道だろう。

めくばせ

56,354 views

東京でゆるゆると生きながら、ことばと生きている21歳。揺れるものとピアス、視線が好き。人生のテーマは‘‘愛’’。

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧