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【back number】僕の腕をすり抜けた君と‘‘はなびら’’(後編)

花びらの妄想
妄想

2018年も6月に突入。真夏日を観測したり、突然冷え込んで雨が降ったり、どうやら地球は情緒不安定になっているようだ。

最近のわたしも、ぬるりと首にまとわりつく空気に梅雨の気配を感じて、洗濯物が乾かないと嘆いている。

つい2か月前は、Instagramの投稿欄がピンク色に染まっていたなんて。時の流れは早い……。

ずいぶんと時間が経ってしまいましたが、今回は【back number】の‘‘はなびら’’から妄想した話の後編をお届けします。

「運命や奇跡なんて存在しない」と人生を諦めていた‘‘僕’’が3年前の春に出会ったのは、赤いバレエシューズを履いた美しい女性でした。

恋を通して変わった僕と、すり抜けていった君

彼女と出会った日からの僕といえば、早く起きて寝ぐせを直し、新品同然のストレートアイロンで不器用ながらに毛先を少し遊ばせ、普段より30分も早く家を出て駅までの道をゆったりと歩いた。

今までの怠惰っぷりが嘘のようだ。年がら年中耳を塞いでいたイヤフォンは、どこかへ行ってしまった。

あの曲がり角から飛び出してくるのではないだろうか、もしかするとあそこを歩いている黒髪の女の子かもしれない。そんなふうに思うたびに手がじっとりと濡れていくのがわかったし、そんな自分を自覚するたびに「狂ってしまったのではないだろうか」と小さく息をはいた。

彼女と出会った桜の木の下や最寄り駅はもちろん、いるはずのない大学付近や出先でも、女性の足元に目がいった。あの赤いバレエシューズを履いてはいないか、と。

 

もう一度だけでいいから、彼女と会いたい。できることなら話しかけて、鈴のように透明な声をこの耳でききたい。それだけでいい、たったそれだけで。

白い手に触れたいなんて思わない。彼女の艶々とした髪に、小さな肩に、薄ピンクの唇に触れたいなんて、僕なんかが思っていいわけがない。だからせめて、一目見て、一言話したい。

 

「バッタリ会ってしまうかもしれない」と気を張っているせいで、帰るころには気が遠くなる。

似た人を見つけるたびに噴き出す汗をハンカチ拭いながら、「まあ、そう簡単には会えないよな」と言い聞かせ、オレンジ色が薄まった空を見上げた。目の前を通りすぎていく車の排気ガスのにおいが妙に心地いい。

しかし彼女と再会するには、そう時間はかからなかった。

 

「あ、あの」
「……あ、こんにちは! また会いましたね」

初めて会った日の3日後。3限を終えた、16時前だった。あの桜の木の下で写真を撮っている女性がいて、僕は彼女だとすぐに気が付いた。あれほど探していた赤のバレエシューズを履いていたから。

いつ会えるだろうかいうとふわふわした気持ちは、彼女を目の前にした途端ズシリと重くなり、胸の底に溜まる。

まさか、本当に会えるなんて。

「ふふ、わたしも驚きました。またお会いできるなんて」。両目を三日月の形にしながらそう言うので、慌てて口を押さえる。やばい、声に出てた。

 

「うれしいです」と呟いて僕を振り返りながら一歩、二歩と坂を下り、「今日は鍵、落としちゃだめですよ」と微笑む。

薄ピンク色の唇がきれいな弧を描く数秒間を、まばたきひとつせずに見ていた。

頬から上が熱くなっていくのがわかる。どきどきどき。また会えたことが、声をきけたことが、うれしくてたまらなかった。

 

僕たちは、狭い歩道を並んで歩きながらいくつかの会話をするうちに打ち解けた。

彼女は想像以上に面白いひとで、好きな雲のかたちの話やぬいぐるみには魂が宿る話などを、目をきらきらさせて話していた。

その日に連絡先を交換して、桜が咲いている1週間ほどのあいだ毎日会い、そのたびにいろいろなところを散歩した。

 

「桜のはなびらが落ちるスピードって、秒速5センチメートルなんだって! 知ってた?」

再会した次の日には小さな花柄のスカートをふわりふわりとゆらしながら、そう言ってはにかんだ。あまりにも遅すぎると思ったけれど、嘘でも本当でも、どちらでも良かった。君が嘘をついたとしても、僕にとってはすべて本当だから。

彼女は、歩道橋の上でビュンビュンと遠くへ走っていく車を見て「もしわたしがアクション映画に出たら、ああいう車の上に乗らなければならないのね」と笑い、コンビニの駐車場の緑色のフェンスに寄りかかり「アイスは舐めたら液状になっちゃうから太らないんだよ」と笑って、108円のアイスクリームにかぶりついた。

さすがに「舐めたら太らないって言ったそばからかぶりつくんだね」とつっこんだけれど、彼女の声が僕の身体のすみずみまで行き渡り、彼女の笑顔があたたかな膜となって僕を包み込んでくれていたので、今なら世界のすべてを肯定できるだろうな、なんて柄にもないことを思った。

と同時に、白い手や艶々とひかる黒髪、ぱちぱちと音が聞こえそうな長い睫毛から目を離せなかった。そこらじゅうに振り撒かれるやわらかい香りは、胸をくすぐった。

 

その日も、いつもと同じように交差点で別れた。あの桜の木がある道をずっと下って左折し、50メートルほど歩いたところにある。

彼女はなんでもないような顔で、なんでもないふうに、横断歩道の反対側で「またね!」と大きく手を振った。笑って。

なにも知らない僕も「また明日」と笑って手を振った。明日こそはあの手を。去っていく姿を見つめながら、きゅ、と唇を噛んだ。

 

ここ最近は晴れが続いていたのに、次の日は朝から土砂降りだった。

‘‘まさかあれが最後になるなんて’’。こういったセリフは、映画やドラマの中だけのものだと思っていた。自分の人生に、そう後悔する日がくるなんて。

なにか事故にでも遭ったのだろうか、それとも具合が悪いのだろうか。小テストの勉強に身が入らぬまま、一週間待った。

どうして返信をくれないんだ、たった数秒の時間すらもないのだろうか。吐き気を我慢しながら交差点やコンビニに通い、一か月待った。

きっと彼女の怒りの琴線に触れることをしてしまったんだ、彼女を望んだ僕が悪かったんだ。朝から晩まで布団にくるまり、半年待った。

 

結局、彼女からの返信はなかった。はじめて彼女を見た瞬間が、頭の中で繰り返される。狂ったように何度も巻き戻され、そのたびに彼女は「これ、落としましたよ」と言う。

毎晩、毛布を頭までかぶり、低反発の枕に顔を押しつけて「どうして出会ってしまったのか」と嗚咽した。部屋中を探して見つけたイヤホンを耳の奥にねじ込み、大音量で某有名スリーピースバンドの曲を聴いた。

人間というものはうまくできていて、ベッドから数か月間起き上がれなくても、食事が喉をまったく通らなくても、いつかは必ずよくなる。あんな生活を送っていた僕も、三年経った今では彼女の輪郭さえ忘れかけているのだから。

人生や人間に対して諦めていたのに、サークルやバイトを始めて社会と関わるようになり、前と比べたらだいぶ‘‘人間らしく’’なってきたと思う。それは他の誰でもなく、彼女のおかげだ。

 

人は声から忘れていき、最後に残るのは香りらしい。

たとえば渋谷のスクランブル交差点を歩いている時、ふと彼女の香りを感じることがある。振り返っても彼女はいない。足を止めた僕を、周りの人は眉間に皺を寄せて避けていく。彼女の姿や目の伏せかたは、どう頑張ってもぼんやりとしか思い出せなかった。三年経って、残ったのは香りだけ。

点滅する信号を横目に走る。

やっぱり僕は、君が好きだ。君に出会えたことは、奇跡だ。

 

「奇跡なんて存在しない。自分に都合の良い出来事をそう呼びたいだけだろ」と思っていた僕は、一人の女性に出会い、一瞬で心を奪われてしまうことがあると知った。

馬鹿にしていた言葉が、自分の口から出ることは一生ないと思っていた言葉が、すんなりと出てくる瞬間があるのだと知った。

人を好きになると、途端に自信がなくなったり、携帯を開くのが楽しみになったり、自分が自分ではないように感じたりするのだと知った。

ああしたらよかったとか、こうすべきだったという後悔や涙を、シャワーで流す夜があると知った。

 

彼女は桜のはなびらのようにくるくると舞い踊り、僕が手を伸ばして掴む前に、スカートの裾を翻して足早に立ち去ってしまった。

時間を戻して、僕がきちんとしたら振り向いてくれるのだろうか。時間を戻せないのなら、スーパースターのように男らしく君を守れるようになるから、また笑いかけてくれないだろうか。

はなびらが飛んでいくように消えてしまった彼女は今どこにいて、誰と、どんな風に生きているのだろう。どんなにおいの空気を吸って、何を想っているのだろう。さっきのスクランブル交差点ですれ違った人こそが、彼女だったのだろうか。

 

僕たちが出会ってしまったことを祝福すると同時に悲しむように、桜のはなびらは舞い踊る。

今年も彼女がいない春が終わって、夏が来る。

春を掴みたかった。君は、春と同じように、僕の腕をすり抜けていった。

恋を繰り返す人間を、愛さずにはいられない

恋の終わりは、時にあっけない。

映画やドラマのように伏線を回収してはくれないし、ドラマチックな別れのことばを告げられることもない。

終わってしばらく経ってから、「ああ、あれは恋だったのか」「あれが終わりだったのか」と思うことだってある。出会わなければよかったと後悔して、涙の海に溺れそうになることもある。

それなのに私たちは、飽きることなく恋を繰り返す。スクランブル交差点で隣に立つ女子高生も、スーパーで合い挽き肉を選んでいる女性も、クリーニング屋から出てくるサラリーマンも、恋を失う痛みをきっと知っている。

身を引き裂かれるような、世界が終わってもいいと思うほどの痛みを、知っている。

そんな痛みを味わってもなお恋を繰り返す人間たちを愛さずにはいられないな、と心で呟きながら、わたしは今日もスクランブル交差点を歩く。

めくばせ

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東京でゆるゆると生きながら、ことばと生きている21歳。揺れるものとピアス、視線が好き。人生のテーマは‘‘愛’’。

プロフィール

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